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レジャーサービス研究所(東京&上海)

レジャーサービス研究所(東京&上海)

レジャ研所長になったワケ

■「なぜ、レジャ研所長になったのか?」

【生い立ち】

生まれは東京都練馬区で、
地元では有名な、あの<豊島園(遊園地)>の側で生まれました。

この時点で運命は決まってしまったんですね(笑)。

ですから、小さい頃から一番の楽しみは豊島園に行くことでした。
(だったようです)

共働きの両親はたまにしか連れて行ってくれませんでした。
しかし、近所に<従姉妹>という強い味方がいたのです。
これは今考えても強運だったかもしれません。

小学生でも上級生がいれば行っても良し…だったので、
従姉妹を交互交互に誘ったりねだったり…と賢く生きていました。

そのせいか、親戚が来るのが大好きでした。
もちろん<豊島園>に連れて行ってもらうためです。
地方から来る親戚(特に従兄弟)たちも近いので、
「久しぶりに行くか!」と景気がいいわけです。

その頃からすでに
「大きくなったら何になるの?」という大人からの質問には
もちろん、
「遊園地の園長さんになるんダ!」としっかり答えます。
(中学生くらいになると、なぜか恥ずかしくて言わなくなった時期もあります)
しかし、悔しいのは低学年の時は、ジェットコースターなど
身長が足らなくて乗れないアトラクションがたくさんあったことです。

でもそこは常連のガキですから、
<かかとに靴下重ね作戦>
<帽子の中にタオル作戦>
<メガネとカツラ作戦>
…などなど、想像力の限りを尽くしてチャレンジしたものです。

何回かに一回の割合でうまくいったり…。
けれど、そのうちに顔がバレバレになってしまい<指名手配>的小学生に
なっていたようです。

そうした苦労があった分、
高学年になって身長も十分に足りて堂々と乗れるようになって日のことは
忘れられません。
自分史の中でも、あまりにもうれしい一日として刻まれています。

なぜ、そこまでして乗ろうとしていたのか?というと、
焦っていたのです。

ぼくの家の近所の大学生のお兄さんが突如、豊島園に現れたからです。
つまりスタッフとしてアルバイトをしてたのです。

そのお兄さんとは仲がよくて、
よく「大きくなったら遊園地の…」と語り合っていたのです。
今にして思えば子供相手の入り言葉に買い言葉で、
「そうか、じゃあお兄さんも園長目指そうかな?よし、競争だ!」
と言われて、
こちらも十分に幼かったので、
「絶対に負けないもん!」と宣戦布告状態でした。

そのお兄さんが働いていたので、
「これはヤバイ!なんとかしなくては…」と。

園長になるには全てのアトラクションに乗れなかればならないはず…
という、勝手に考えた理屈があったので
一刻も早くアトラクションを制覇しなければ…という焦りが
指名手配的小学生への道につながってしまったのす。

つづく…


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